詩の日めくり 二〇一四年十二月一日─三十一日

By   2015-10-29

詩の日めくり 二〇一四年十二月一日─三十一日

田中宏輔

もくじ。

二〇一四年十二月一日 「イエス・キリストの磔刑」

 イエス・キリストが磔にされるために、四条河原町の交番所のところを、自分が磔にされる十字架を背負いながら歩かせられていた。それほど多くの民衆が見ていたわけではないのだけれど、片側の狭い橋のうえは、ひとが磔にされる様子を見ようとする人間でいっぱいだった。磔など、そう珍しくもないものなのに。イエスが河川敷に降りていく坂道でつまずいた。すると、警吏のひとりが鞭を振り上げて、イエスの血まみれの膝に振り下ろした。ビシリという鋭い音がすると、イエスの血まみれの膝にあたらしい傷口が開いた。イエスの身体がよろけた。背負っていた磔木が、彼の背中からずり落ちた。すると、別の警吏が、群衆の先頭にいて、イエスの様子を見ていたぼくの目のまえに鞭を振り下ろして、「おまえが代わりに背負え!」と大声で言い放った。鞭の音とともに、地面のうえを一筋の砂塵が舞い上がった。恐怖心でいっぱいのぼくは、臆病なくせに、好奇心だけは人並みに持ち合わせていたのであろう、裸同然のぼろぼろの腰布一枚のイエスの代わりに、重たい磔木を背中に負って、刑場の河川敷の決められた場所まで歩いた。道中をイエスが磔木を引きずらなければならなかったのと同様に、そのあまりに重い磔木を、ぼくもまた河川敷の地面のうえで引きずらなければならなかった。群衆の見ているまえで、ぼくは磔木を刑場の決められた場所まで運んだ。警吏たちがイエスの身体を十字架のうえに載せ、一本ずつ釘をもって彼の手のひらを磔木に打ちつけると、イエスがそのたびに悲鳴をあげた。警吏たちが、イエスの両足を重ねて、太い釘で磔木に突き刺すと、イエスはひときわ大きな悲鳴を上げた。何人もの警吏たちによって、磔木が立てられると、それを見ていた群衆たちは罵声を上げながら手を叩きだした。拍手しだしたのである。さすがに、ぼくには、拍手をする気など起こるはずもなく、ただ、苦痛にゆがんだイエス・キリストの顔を見上げることしかできなかった。風はなく、空には雲ひとつない、十二月の第一日目の出来事であった。そう思っていると、どこから雲があらわれたのか、にわかに空がかち曇り、突然の嵐のように風が吹きすさび、大雨が降りだしたのである。イエスが雨に濡れた顔を上げて、何か叫んでいた。聖書にある言葉だったのであろうか。でも、その言葉ではなかったような気がした。

二〇一四年十二月二日 「かさかさ」

 後ろで、かさかさという音がしたので振り返った。すると、かさかさという文字が壁のうえを這っていた。手でぱちんと叩くと、ぺちゃんという文字となって床のうえに落ちた。

二〇一四年十二月三日 「シェイクスピア」

 ウルフの『自分だけの部屋』を読んでいるのだが、たしかにまっとうな見解だとは思うものの、ちょっと古いなあと思われる記述もある。じっさい、古い時代の書物なのだが、ではなぜ、シェイクスピアが古くならないのだろうか。シェイクスピアにはなにがあるのだろう。あるいは、なにかがないのか。わからない。きょうは、ヴァージニア・ウルフの『自分だけの部屋』のつづきを読みながら寝よう。バリントン・J・ベイリーの『時間帝国の崩壊』めっちゃゲスい。10年ほどむかしに、たしか、5000円くらいで買った記憶があるのだけれど、ちょっとイラッてくる。ふと思ったのだけれど、なぜシェイクスピアの戯曲が、その言葉が、いまにいたってもなお、ぼくのこころに深く迫ってくるのかというと、それは、シェイクスピアの言葉の簡潔さ、単純さ、直截さによってもたらされたものではないのかなって。どかな。もちろん、きわめてレトリカルでもあるのだけれど、使われている言葉は、常日頃、ふつうに使われている言葉ばかりなのだ。

二〇一四年十二月四日 「シェイクスピア」

カレッジクラウン英和辞典をパラパラとめくっていると

Silver often occurs native.
銀はよく自然のままに見いださる

といった
受験のときに見た覚えのあるものや

A mule is a cross between a horse and an ass.
ラバは馬とロバの合いの子である

という
とっくにぼくが忘れている
というか
思い出すことのなかったものや

There was a congregation of bees around the hive.
ハチの巣のまわりに蜜バチが群れていた

といった
まるで詩の一節のようなものに出会ったのだけれど

Shakespeare had small Latin and less Greek.
シェイクスピアはラテン語はほとんどわからなかったし、ギリシア語にいたってはなおいっそうわからなかった

なんてのに出くわしたときには
なんだか固い言い方だけど
当惑させられてしまった
本を読んで
シェイクスピアが大学を出てなかったことや
ギリシア語やラテン語ができなかったってことは知ってたけど
何も辞書の例文として、そんなことまで書かなくてもいいんじゃないのって
そう思った
そんなことで
うんこにすることないんじゃないのって
顔面ストリップ
友だちのハゲが気にかかる
ぼくも売り切れです

二〇一四年十二月五日 「言葉」

空気より軽い言葉がある。
その言葉は空中を上昇する。
空気より重い言葉がある。
その言葉は空中を降下する。

二〇一四年十二月六日 「言葉」

うちの近所にうるさい言葉が飼われていて
近づくと、うるさく吠えかかってくる。

二〇一四年十二月七日 「言葉」

北半球では
言葉も
東から上り
南で最高点に達し
西に沈む。

二〇一四年十二月八日 「興戸駅」

これって生まれてはじめての経験かも。
ぼくがびっこひきひき歩いていたら
後ろから歩いてきた学生たちが
みんな
ぼくを横切って
ぼくの前を歩いていった。
ぼくだって歩いていたのに
なんだか
ぼくだけが後ろに
ゆっくりとさがっていってるような
そんな気もした。
なにもかもが
ゆっくり。

ぼくが見上げた空は
たしかにいつもよりゆっくりと
風景を変えていった。

いつもより
たくさんのものに目がとまった。
田んぼの周りに生えている雑草やゴミ
通り道にあった
喫茶店のドアに張られたメニューのコピー
歩道橋の手すりについた、まだらになった埃の跡。
これって、きっと雨のせいだろうね。
さいきん降ったかな。
どだろ。
ぼくは何度も
その埃が手のひらにくっついたかどうか
見た。
埃はしっかり
銀色に光った鋼鉄製の手すりにこびりついていて
(ステンレススティールだと思うけど、違うかな?)
ぼくの手のひらは、ぜんぜんきれいだった。

歩きながら食べようと思って
ル・マンドというお菓子を
リュックから出したら
そのお菓子を買ったときのレシートが道に落ちたので
拾おうとして、しゃがみかけたら
学生服姿の高校生の二人組のうちの一人が
さっと拾い上げて
ぼくに手渡してくれた。
きっと、ぼくの足が不自由だと思ったからだと思う。
人間のやさしさって
感じる機会ってあんまりなくって
あんまりなかったから
電車の扉がしまってからでも
その高校生たちの後ろ姿を
見えなくなるまで
ぼくの目は追っていた。

二〇一四年十二月九日 「生きること」

 生きてみないと、意味がわからない。生きていても、意味がわからない。生きているから、意味がわからない。意味がわからないけれど、生きている。意味がわからないのに、生きている。意味がわからないようにして、生きている。このどれでもあるというのは、生きていることに意味がないからであろう。それとも、このどれでもなくって、意味があって、生きているのかもしれない。でも、その意味がわからない。しかし、意味がわからなければ、自分で意味をつくればいいわけで、それなら、いくらでも意味を見いだせる。見いだした意味が、自分の人生に意味をつくりだす。でも、とりあえず生きてみることかな。つべこべ言わずにさ。齢をとって容色は衰え身体も大丈夫でないところが出てくるのだけれど、とりあえず生きつづけることかな。意味よりは、まずは生きていくことの使命のようなものを感じる。生まれてきた以上、生きつづける努力は必須なのだと思う。

二〇一四年十二月十日 「恋人たち」

 過去形で書いてきた恋人たちだって、いまでもまだ、ぼくのなかでは現在形である。いや、未来形であることさえあるのだ。

二〇一四年十二月十一日 「桃太郎」

 村人たちは笑顔で宝物を桃太郎に手渡した。桃太郎は後ろ向きに歩いて大八車のうえに宝物を並べて置いた。すると、犬や雉も宝物を持って後ろ向きにやってきて、それを大八車のうえに載せた。山盛りいっぱいになった宝物を積んだ大八車を後ろ向きに進ませて、桃太郎たちは後ろ向きに歩きはじめた。一行は港に着けてあった船に後ろ向きに歩いて乗り込んだ。船は後ろ向きに海のうえを走った。鬼が島に着くと、一同は宝物を積んだ大八車を後ろ向きに押して鬼のすみかまで運んだ。そうして、桃太郎たちは、血まみれの鬼たちに宝物を順々に配っていった。

二〇一四年十二月十二日 「間接キッス」

 台湾にいるテッドから葉書がきた。貼り付けてあった切手をうえからちょっと舐めてみた。間接キッスかな、笑。

二〇一四年十二月十三日 「タクシーを捨てる」

「タクシーを拾う」という表現があるのだから、「タクシーを捨てる」、あるいは、「タクシーを落とす」といった表現があってもよいのになあと、ぼくなどは思う。

二〇一四年十二月十四日 「宇宙」

 たぶん、ぼくたちひとりひとりは、違った宇宙なんじゃないかな。だから、ぼくがぼくの地球上で空気より重いものを放り投げてたら、ぼくの宇宙では下に落ちるけれど、ほかのひとの宇宙では、地球上で空気よりも重いものを放り投げても、宙に浮いて空にまで上がってしまったりすることもあるんじゃないかな。違った宇宙だから、違った力が作用したりするんだろうね。そうだね。ぼくたちは、ひとりひとりが、きっと違った宇宙なんだよ。そんな気がする。

二〇一四年十二月十五日 「お出かけ」

これが光。これからお出かけ。少し雨。これが光。ぼくのなかに灯る。少し雨。

二〇一四年十二月十六日 「100円オババと、河原町のジュリーと、堀 宗凡さんのこと」

ぼくが子どものころ
祇園の八坂神社の石段下で
よく、100円オババの姿を見かけた。
着物姿の、まあ、お手伝いさんって感じのババアだった。
うちにも、ぼくや弟たちが子どものころは
お手伝いのおばあさんがいたのだけれど
うちのお手伝いのおばあさんたちのほうが
だんぜん清潔っぽかったし、見た目もよかったし
なにより、ずーっと穏やかな感じだったように思う。
いまだに、おふたりの名前は覚えている。
おふたり以外のお手伝いのおばあさんたちの名前は出てこないけど。
すぐ下の弟のほうは、「あーちゃん」
一番下の弟のほうは、「中島のおばあちゃん」
と呼んでいた。
なつかしい、音の響きだ。
どちらのお名前も、思い出すのは、数十年ぶりかもしれない。
一番下の弟を背に負いながら、トイレをしていて
ひっくり返って、弟が泣き叫んで
その声のすごさに家中で大騒ぎになって
一日でクビになったお手伝いのおばあさんの顔は覚えているのだけど
そのおばあさんって、一日だけのひとだったのだけれど、顔は覚えていて
名前は覚えていないのね。
人間の記憶って、不思議ぃ~。

100円オババは、道行くひとに
「100円、いただけませんか?」
と言って歩いていたのだけれど
まあ、早い話が
歩く女コジキってとこだけど
あるとき、父親と、すぐ下の弟と
祇園の石段下にあった(いまもあるのかな)
初音といううどん屋さんに入って
それぞれ好きなものを注文して食べていると
その100円オババが、店のなかに入ってきて
すぐそばのテーブルに坐って
財布から100円硬貨をつぎつぎに取り出して
お金を数えていったので
びっくりした。
「あれも、仕事になるんやなあ。」
と父親がつぶやいてたけど
ぼくは
ぜんぜん腑に落ちなかった。

河原町のジュリーと呼ばれていたコジキがいた。
死ぬ半年くらい前に
市の職員によって救い出され
病院に入っていたのだけれど
足かな
膝かな
歩くのに不自由していたのだけれど
そのボロボロのコジキ姿を見かけると
ぼくは、とても強い好奇心にかられた。
そのひとの過去が自由に頭のなかで組み立てられたからだ。
何才くらいだったのかな
70才は過ぎてたと思うけど。
もしかしたら、過ぎてなかったかもしれない。
あるとき
祇園の八坂神社の向かって左側の坂道で
父親とぼくが
河原町のジュリーが足をひきずりながら歩いてくるのを見ていた。
ジュリーが近くまでくると
父親がタバコの箱を手渡した。
ジュリーは
脂まみれのドレッド・ヘアーのその汚い頭を大きく振って
ぼくの父親に何度も頭を下げていた。
父親は、つねづね、
施しだとかいったことは偽善だと言っていたように記憶しているのだが
父親が、ジュリーにタバコをやっていたのは、このときだけではなかったようだ。
ぼくの心理はとても単純なものだけれど
ぼくの父親の心理は、ぼくにはまったくわからないものだった。

日本でより
外国でのほうが有名だったのかしら?
堀 宗凡さんに
フランスの雑誌社がインタビューするというので
そのときに
宗凡さんの家の庭に立てる板に
ぼくがいくつか、一行の詩を
花の詩を書いてあげたのだけれど
雑誌には
ぼくの名前がいっさい載らなかった。
庭に立てられた板の詩は載っていたように記憶しているのだけれど。
宗凡さんのお人柄は
とてもあっさりしたもので
ぼくもお茶を少し習っていたし
お茶だけでなく、個人的にも交流があったのに
ぼくの名前をいっさい出さなかったことに
ぼくはとても強い怒りを感じた。
いまでも不思議だ。
なぜ、ぼくの詩だという説明が
どこにもなかったのか。
そのことは、宗凡さんがもう亡くなられたので
きくことができないけれど。
そのときの、ぼくの一行詩。
いくつか書き出してみようかな。

花もまた花に見とれている。

これって、ヴァリエーション、いくつもできるね。

見つめているのは、わたしかしら? それとも花のほう?

花も花の声に耳を澄ませている。

とかとかね。
そいえば、むかし、『陽の埋葬』のひとつに

雨もまた雨に濡れている。

と書いたことがあった。

二〇一四年十二月十七日 「「あ」と「い」のあいだ」

こぶし大の白い立方体の上に「あ」が生まれる
こぶし大の白い立方体の下に「い」が生まれる
こぶし大の白い立方体が消え去る
こぶし大の白い立方体が消え去っても
「あ」と「い」は存在しつづける
かつて「あ」と「い」のあいだには
こぶし大の白い立方体が存在していたのだが
いまや「あ」と「い」のあいだには
何もない
かつて「あ」と「い」のあいだに
こぶし大の白い立方体があったことを知っているのは
わたしとこの言葉を読んでいるあなただけだ
わたしたちの知らないところで
こぶし大の白い立方体が現われては消えてゆく
わたしたちの知らないあいだに
こぶし大の白い立方体が現われては消えてゆく

二〇一四年十二月十八日 「名前間違え」

 塾の帰りに、ふだんは見ない日本人作家の棚の方へ足を運んだら、永 六輔さんが選者をしてらっしゃる『一言絶句』という本があって、サブタイトルが「「俳句」から「創句」へ」とあって、あれ、たしか、むかし、『鳩よ!』という雑誌で、ぼくの作品が選ばれたことがあるぞと思って、手にとってみたら、ぼくが書いた

鮭はうれしかった、またここに戻ってこられて
川はよろこんだ、まだ水がきれいだと知って

が、133ページ(光文社 知恵の森文庫 2000年初版第一刷)に載ってたのだけれど、いまのぼくなら、「水」を「自分」にするかなって、ふと思った。あ、光文社さんからは、あらかじめ、なんの連絡もなかったのだけれど、この本のなかで、作者の名前が「田中弘輔」になってて、ぼくの名前って、そんなに珍しくないだろうから、間違いにくいと思うんだけど、訂正していただける機会があったら、光文社の方に訂正していただきたいなと思った。こうして、名前を間違えられたのだけれど、間違えられた名前のひともいらっしゃる可能性はあるわけで、自分が書いてもいないものを書いたと思われて迷惑なひともいるだろうなと思った。ところで、ネットでググると、ぼくと同じ名前のひとが何人もいらっしゃってて、「田中宏輔」というと、ハゲ・デブ・短髪・ヒゲのゲイの詩人だと思われて迷惑なひともいるような気がする。自分で、ハゲ・デブ・短髪・ヒゲのゲイの詩人だって公言してるからね。そいえば、「田中宏輔」というお名前のプロ野球選手もおられる。

ありゃ、いま奥付を見たら

「お願い(…)どの本にも誤植がないようにつとめておりますが、もしお気づきの点がございましたら、お教えください。(…)」

ってありました。連絡してみましょうか。ツイットのアカウントにあるかもしれませんね。検索してみます。

ありました。つぎのようなツイートを送りました。

 知恵の森文庫の、永 六輔さんの『一言絶句』に、作品を収録されている作者なのですが、作者名の一文字が違っています。133ページの作者名「田中弘輔」は、正しくは、「田中宏輔」です。きょう、偶然、本を目にして、気がつきました。そのうち訂正していただければ幸いです。

二〇一四年十二月十九日 「ふと思い出した言葉」

 キッチンでタバコをすってたら腰をぐねった。体重が重すぎてだと思うけれど、ひとりだけど、カッコつけて足を交差させていたためだと思う。なんちゅう重さ、笑。かなり太った感である。むかし、「このでっかい腹は、おれのもんや」と言われた記憶がある。だれにだったろう。(覚えてるよん、エイジくん、チュッ!)

二〇一四年十二月二十日 「自由電子」

いきなり自由だなんて
まあ、かまわないけどね。
               ──自由電子

どうせ、自由電子の顔なんて
ひとつひとつ、おぼえてなんかいないでしょ?
まさか、きみも自由電子?
ぼくも自由電子。
そろそろまいりましょうか?
そうさ、お前も強い電磁場のなか
思い通りには動けないのさ。
じゃあ、もう自由電子じゃないじゃん。
不自由電子じゃん。
自由なうちにやりたいことやっておかなきゃね。
マニア
自由電子もエコだから。
ブイブイ。
ちょいとちょいと
そこの自由電子のおにいさん、
寄ってかない?

二〇一四年十二月二十一日 「コンドーム」

コンドーム
って、おもしろいものですよね。
チンポコ以外のものにもはめられますものね。
拳銃は男性器のシンボルの一つでしたね。
弾は精子ですものね。
でも、拳銃だと、精子が突き抜けちゃいますね、笑。
なんかおもしろい。
答案用紙に穴をあけるのに、コンドームをかぶせる必要はないのですが
必要のないことをするというのが、人間のおもしろさで
文化とか、芸術とかって、そんなところにあるんだな~
とかとも思いました。
ところで
2年ほど前に聞いた話です。
インド旅行に行った若い男の子が
売春宿の裏側にまわってみたら
使った後のコンドームが洗って干してあったんですって。
いっぱい。

それを写真に撮ろうとしたら
とても怖い感じのひとがカメラを取り上げたんですって。
こわいですね~。
一度使ったコンドームをまた使うなんて。
いや
怖いというのではなくて
貧しさが、そうさせているのでしょうけれど
この逸話を
立ち飲み屋で
おもしろそうに話している若い男の子に
「無事に帰れてよかったね。」

ぼくは言いました。
中盤から終わりにかけての情景
まるで映画のよう
そういえば
冒頭のシーンも映画のひとコマのよう。
とても映像的で
シリアスなのに
ユーモラスでもありました。
楽しい話でしたね。
いま部屋で、キーボードを打ち込んでいるのですが
なんだか、外に出て行きたくなっちゃいました。
公園は寒いから
古書店めぐりでもしようかな。
あ、いま気がつきましけれども
コンドーム
のばす「ー」を「う」にしたら
こんどうむ
今度産む
になちゃうんですね。
おもしろい。

二〇一四年十二月二十二日 「芸術家の幸せ」

 いまふと思ったのだが、詩を読めるだけでも幸せなのに、詩を書かなければ、より幸せではないというのは、とても不幸なことではないかと。もしかしたら、芸術家って、芸術作品をつくらなくなったときに、ほんとうの幸せがくるのかもしれない。まあ、それを世間じゃ、芸術家の死と言うだろうけど。

二〇一四年十二月二十三日 「卵」

窓の外にちらつくものがあったので
目をやった。

二〇一四年十二月二十四日 「代用コーヒー」

メルヴィル『白鯨』の1に
「豆コーヒー」(幾野 宏訳)
フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』の7に
「炒りどんぐりのコーヒー」(篠田一士訳)
というのが出ていた
いわゆる「代用コーヒー」ってヤツね
コーヒー党のぼくとしては
ぜひ一度は飲んでみたいなって思っている
あっ
勝手にコーヒーいれちゃだめだよ
なにさ
なによ
なになにぃ?
なになにぃ?
くるくる
パー!


どんどん×
じゃなく
どんどん書ける
じゃなく
どんどん駆ける
じゃなく
どんどん賭ける
どうしたんだろう
投稿時代みたいだ
投稿時代には
多いときは
一日に十個くらい書いてた
ううううん
間欠泉かな
やっぱ
でもこれでとまったりして、笑

二〇一四年十二月二十五日 「一途」

 きょう、日知庵で飲んでたら、日知庵でバイトをしてる女の子の彼氏が仕舞いかけに店に入ってきたのだが、常連さんのひとりが、「いちずだねえ」と彼氏に声をかけて、彼氏が照れ笑いをしていたので、ぼくが「いちずって、どういう漢字を書くの? いちはわかるけど。」と言うと、「途中の途です。」と答えてくれて、そこですかさず、「一途なのに、途中の途って、へんなの。」と思ってぼくがそう言うと、「途中の途って、道って意味らしくて、一つの道って意味らしいですよ。」「へえ、そうなんだ。さすが京大生、よく知ってるね。」と言って、ぼくも感心したのだった。一途なのに、途中の途ってねえ。ぼくには、おもしろかった。

二〇一四年十二月二十六日 「死体が立ち並んだ畑」

20年近く前ですが
甥の面倒を見ているときに
甥が親から買ってもらっていた
絵をつくって動かすことができるおもちゃで
草原に木を生やしたりして背景をつくり
草原に、たくさんの手が生えるような光景を
つくってやって
その手が、ゆらゆらと動くようにしてやった記憶があります。
パソコンで描く絵の先駆的な
おもちゃだったわけですが
それが思い出されたのです。
手が生えてくるといえば
コードウェイナー・スミスの『シェイヨルという名の星』を思い出しますが
そこは地獄のような風景で
罪人の貴族たちに放射線のようなものをあてて
身体や顔面のいたるところから生えてくる手や足や耳や鼻や目を
牛頭人が、貴族たちの身体から
手術用のレーザーメスでつぎつぎと刈り取って行くというものでしたが
それも思い出しました。
怖くて、ぞくぞくする小説でしたが
いまだに細部の描写をも忘れられません。
のばした手が枯れるというのは
聖書に記述があり、それも美しいのですが
むかし
北山に住んでいたとき
畑に
いっぱい名札が立てられているのを見て
ここには中村さんが
ここには山田さんが
ここには武村さんが
生えてくるのね。
と思ったことがありました。
ずいぶんむかし
ブログか
詩に書いたことがありましたが
あれは
貸し畑っていうのでしょうか。
なんていうのか忘れましたけれど。
名札がたくさん並んでいるのは
不気味で、よろしかったです。
ことに夕暮れなんかに
その畑の前を通りますと。

二〇一四年十二月二十七日 「業」

歌人の林 和清ちゃんとの会話。
「こんど生まれ変わるとしたら
 どんな人間になりたいって思う?」
「う~ん。
 高校時代にすっごく好きなヤツがいたのね、
 ソイツみたいのがいいな。」
「もっと具体的に言ってよ。」
「具体的ね。
 そうだね、
 すっごくフツーだったのね、
 フツーにあいさつできて、
 フツーに人と付き合えて。」
「ふうん。」
「だれとも衝突しないし、
 だれからも憎まれたことがないって、
 そんなヤツ。」
「は~ん。
 アツスケって、
 ほんとに業が深いんだ。」

二〇一四年十二月二十八日 「焼き飯頭」

もしもし
なあに
わかる
よっちゃんでしょ
ああ
きのうは
サラダ・バーでゲロゲロだったね
ほんとにね
あっ
きのう言ってた
死んだノーベル賞作家って
何ていう名前か思い出した
カミロ・ホセ・セラでしょ
きのう
ファミレスで思い出せへんかったから
キショク悪くて
ふうん
あっ
それより
これから
うちに来てゴハン食べへん
なんで
なんでって
べつに
はあ
いっしょのほうがおいしいから
はあ
でも
きのうもゴチになったやん
そんなんええで

つくってくれるん
チャーハン
チャーハン
さいきん
コッてるねん
きのうは焼きそばで
きょうは焼き飯
まあ
まあ
そう言わんと
おいしい
だいじょうぶ
ほな行くわ
まずかったら
近所のコウライに行って
チャーハン食べたらええんちゃう
そやなあ
なあ
なあ
ぼくってなあ
いっぺん
焼き飯って聞いたら
焼き飯頭(あたま)になるねん
はあ 
なにそれ
頭んなか焼き飯焼き飯焼き飯って焼き飯でいっぱいになるねん
ああ
それおもろいやん
じゃ
詩にするわ


二〇〇二年一月十九日のお昼ごろに
このような会話が電話でやりとりされたのです
頭のなかで焼き飯頭焼き飯頭焼き飯頭って頭が焼き飯になった人のイメージを
思い浮かべながら近くに住んでるよっちゃんちに行きました

それ違うやん
焼き飯頭頭(あたまあたま)ってことになるやん
そうでもないんちゃう
どういうこと
焼き飯頭を考えてる頭ってことにならへん
それで
焼き飯頭頭ってこと
ウィ
そっかなあ
そっかなあ
なんか違う気がするねんけどなあ
じゃあ
焼き飯頭頭のことを考えたら
焼き飯頭頭頭になるってことね
焼き飯頭頭頭のことを考えたら
焼き飯頭頭頭頭になるのね
それより
チンチン頭(ヘッド)っていうのもええで
なにそれ
あんたも
ときどきそうなってるはず
あっ
そういうこと
でも
そんなん詩に書けへんわ
やること
やっとるくせに
そやけど
あんまりやわ
チンチン頭(ヘッド)なんて

チンチンと違うで
チンチンになってるやんか
なってるんやろか
なってるはず
ポコポコヘッドもあるで
それ
吉本やん
そういうたら
コーンへッドちゅうのもあったなあ
とうもろこし頭の変な宇宙人がでてくるヤツね
ちょい
チンチンやわ
ちゃうやろ
そうかなあ
おもろかった
見てへん
ぼくもや
あほみたいな感じやったもん
ぼくらの話より
ましかもしれへんで
そうかなあ
そやろかなあ
たぶんなあ
たっぷん
たっぷんな

二〇一四年十二月二十九日 「小鳥」

 地面のうえに、ひしゃげてつぶれたように横たわっていた小鳥の骨が血と肉をまとって生き返った。小鳥は後ろ向きに飛んで行った。何日かして、ベンチのうえに置かれた鳥籠に、その小鳥が後ろ向きに飛びながら、開いた扉から入った。鳥籠を持ち上げて、一人の少年が後ろ向きに河川敷を歩き去って行った。

二〇一四年十二月三十日 「ぼくと同じ顔をした従兄」

小学校のときに、継母の親戚のところに一日、預けられたことがあるのですが
よそさまの家と、自分の家との区別がつかなかったのでしょうね。
なにをしても叱られるなんてことがないと思っていましたら
冷蔵庫のプリンを勝手にぜんぶ食べてしまって
その親戚のひとのおやじさんに、きつく怒られてしまいました。
二十歳のときに
実母にはじめて会いに高知に行きましたときに
自分の血のつながった従兄弟たちに会いましたら
そのうちのひとりが、ぼくの顔と体型が瓜二つだったのです。
ぼくは、当時はあまり酒が飲めませんでしたが
ぼくと同じ顔をした従兄は大酒呑みでした。
日本酒を2升は呑むと言うのです。
はじめて血のつながった従兄弟たちといっしょに過ごした日の
夜の大宴会の様子は、いまでもすぐ目に浮かびます。
2、30人の親戚が集まって
祖母の2周忌で、酒を飲んでいたのです。
ぼくの知らない
ぼくの赤ん坊のときの話だとか
ぼくが2歳のときに、従兄弟の顔を引っ掻いたらしくって
「これ、あつすけにつけられた傷やけ。」とか、額の髪を掻き上げて見せられました。
高知弁をもう20年くらい聞いていないので
だいたいの音しか覚えていませんが
京都弁に比べると
いかにも方言って感じに思えました。
京都弁も方言なのですが、笑。
ぼくにそっくりの従兄弟は2歳上だったのですが
数年前に、心筋梗塞で亡くなりました。
亡くなる前に、足を怪我して引きずっていたそうです。
田舎なので、差別語をまだ使っているのでしょうか。
それとも、実母が年寄りなので、差別語というものを知らないのか、
「あの子は、ちんばひきよってね。かわいそうに。」と言っていました。
もちろん、差別意識はなく、使っていた言葉だと思います。
十年以上前ですが、実母が泣きながら、電話で、ぼくに謝っていました。
ぼくの父親が実母と別れた理由のひとつに
実母が被差別部落出身者であることを
結婚するまで、ぼくの父親に隠していたとのことでした。
それが原因のひとつで、ぼくの父親と離婚したとのことでした。
もう三十代半ばを過ぎていたからかどうかはわかりませんが
ぼくの身体に、被差別部落のひとの血が流れていることに
なにも恥じる気持ちも、逆に誇る気持ちも感じませんでしたが
たぶん、若いときに聞かされていても、動揺はしなかったと思います。
そして、ぼくが三十代半ばだったか、後半くらいに出会った
青年のエイジくんが、高知県出身だったのです。
高知県高知市出身でした。
彼とのことも、いっぱい思い出されました。
ふたりでいたときのこと
ひとりひとりになって
相手のことを考えていたときのこと
楽しかったこと
笑ったこと
口惜しかったこと
悲しかったこと
さびしかったこと
そうだ。
親戚の家の玄関で靴を脱いだとき
自分の脱いだ靴を見下ろして
ああ
足がちょっとしめっていて
靴、臭わないかな
なんてことを
少し暗い玄関の明かりの下で
ふと思ったことなど
どうでもいいことですが
どうでもいいことなのに
細部まで覚えているのですが。
どうでもいいことだから
細部まで覚えているのかもしれませんが。
さっき
「血のつながった」
と書いたとき
はじめ
「知のつながった」
でした。
手書きと違って
ワードでの書き込みって
偶然が、いろいろあって、おもしろいなと思いました。

二〇一四年十二月三十一日 「ホサナ、ホサナ」

福井くん
きょうのきみの態度
よかったよ
吉田くんがいなくなって
こんどは
ぼくってわけ
きみで四人目だよ
きみも
ぼくのコレクションに加えてあげる
きみは
なにがいいかな
鉛筆
消しゴム
それとも三角定規かな
きみの体型に合わせて選んであげるね
ううん
そうだな
先をビンビンに尖らせた鉛筆がいいかな
きみの神経質な感じにぴったりだろ
じゃあ
台所にあるゴキブリホイホイ
見てくるね
アハッ
いたよ
おっきいのが
まだ生きてるよ
こうやって
脚をもいでって
っと
アハッ
つぎは
福井くん
きみね
きみの番ね
ちょっと
アゴ
あげてね

引っこ抜くから
いっ
いいっ
いいっ
っと
アハッ
やったね
やったよ
きれいに引っこ抜けたよ
きみの頭
あれっ
泣いてるの
痛かったの
でも
もう何も感じないでしょ
ぼくだって痛かったんだよ
ほら
これ見てよ
左目のまぶた
腫れてるでしょ
きみに殴られた痕だよ
痛くてたまらなかったよ
まだヒリヒリしてるよ
でも
もういいんだけどね
ゆるしてあげるね
そうだ
まだやることが残ってた
両方削った鉛筆は
鉛筆は
っと
あった
これだ
これね
これって
たしか
貧乏削りって言ったんだよね
これを
こうして
きみの首に突き刺して
グイグイグイって

ふう
できた
あとは
ゴキブリの脚をくっつけていくだけだね
ほうら
こうして
ボンドでくっつけてっと
ふうふう
ふうっと
はやく乾け
はやく乾けっと
ほら
できあがったよ
きみは
ぼくの四番目のコレクション
ぼくの大切なコレクション
さあ
友だちが待ってるよ
きみの友だちたちがね
ぼくの机の引き出しの中にね
みんな知ってるよね
ホサナ
ホサナ
主の御名によって来たる者に祝福あれ
かつて来たる者にも
いま来たる者にも祝福あれ
アハッ
知らなかっただろう
ぼくにこんな力があるって
ぼくのお祖母ちゃんは霊媒だったんだよ
ぼくは、よくひきつけを起こす子だった
お祖母ちゃんには
ちいちゃい時によく幻を見せられたんだよ
お祖母ちゃんがね
呪文をとなえながらね
こんなふうに
目をつぶって
ふっ
ふって
手の二本の指に息を吹きかけてね
えい
えい
えいって突然叫んだりしてね
あれは
いくつのときのことだろう
針の山の頂上に
座布団の上に坐ったお祖母ちゃんがいてね
えいって叫んで
お祖母ちゃんが両手をあげると
まわりじゅうに火が噴き出したのは
そのとき
ぼくは
まだちっちゃかったから
お祖母ちゃんのひざの上に抱きついて離れなかったんだけど
とっても怖かったんだろうね
しばらく気を失ってたらしいんだ
あとで聞いたらね
それからだよ
いろんなものが見え出したのは
いろんなことができるようになったのは
ホサナ
ホサナ
主の御名によって来たる者に祝福あれ
かつて来たる者にも
いま来たる者にも祝福あれ

みんな
ゆるしてあげる

 

2 Comments on “詩の日めくり 二〇一四年十二月一日─三十一日

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